ことばに救われる経験

書くことをやってみたいと思ってこちらにたどり着きました。

日々、読書をする中で、ことばのすごさを実感しています。歳を重ねるごとに、読書のスタイルも変わってきました。ずっと読み継がれている本には、やはり何かがあるのでしょう。若いときには全く本を読んでこなかった自分が、40を過ぎてから本を開くようになりました。それは、時間つぶしとか楽しむための読書ではなく、差し迫ったものが本を開かせるという感じで、あまり数は読んでいませんが、読書の大切さを遅ればせながら実感しているというところです。

これまでの読書は、読んでおいた方が得で、読まないと損をするような、とにかく何か読んでおいた方が良さそうだという動機で読んでいました。今は、他にやることがあろうと、雑音で読むのに最適という環境でない場所でも、その中に吸い込まれていくような読書体験をしています。

はたからみたら、本を開いて言葉を目でおっている姿が映るのだろうけれど、目とことばと自分(魂)の共同作業を通して、実際に起きていることは、只事ではないようなものだったりします。静かにそれは起きています。読書をしていることが、自分にとっては事件です。

父が亡くなったときに、心の喪失感を埋めたいと思い、誰か大切な人を失くした人に向けて書かれた本を探していました。でも、その探し方が分からず、「大切な人を亡くしたあなたへ」というようなそのままのタイトルの本や、「人は死なない」といった精神世界の本に行きつきました。もちろん、こうした本に慰められはしたけれど、何か物足りないような気持ちでした。自分の探し方が悪かったのかもしれないのですが、世の中にはこんなに沢山の本があるのに、大事なときに寄り添ってくれる本はいったいどこにあるのか分からずに途方にくれました。

そんなときに私が一番救われたと感じたのは、たまたま手に取った、吉本ばななさんの『キッチン』でした。主人公がたったひとりの家族である祖母を亡くしてしばらくは泣く暇もなく過ごしていて、ある日バスの中で涙が止まらなくなるシーンがあります。大切な人がいなくなっても何でもないかのように日々は過ぎていくけれど、その喪失感と日常とのギャップに寄り添うことばがそこにはありました。その時初めて、小説という読み物の意味がわかった気がしました。かなり気づくのが遅いですが。

先日来、ある尊敬する方から、読むと書くは、呼吸のようなものと教えてもらいました。読むだけでも、書くだけでもダメで、両方がバランスよくあることが理想だといいます。確かに、読んで読んで読んで吸収するだけでは、せっかくの気づきが堆積していくだけで、過呼吸状態になってしまいます。つたないことばでも、自分で感じたことを綴っていきたいと思います。

書きたいこと
①読んだ本のこと
②内省したこと
③日々の問題解決のこと(未解決事件も含む)
④好きな映画のこと
⑤精神分析のこと

よろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました