自分の非力を知る

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今の自分にできることをやろうと努めるのだけれど、自分とは何と非力かを思い知らされる日々。少しはましな人間になろうと思って本を読む。そこにはちょうど自分が必要としていることばがあった。自分というものが他者なしにはあり得ないということ。自分の中を歩き回って一生懸命に自分を探しても、一向に見つかりっこないと。そんなあたりまえなことをようやく理解できるようになった。以前もこのような言葉をどこかで読んでいたはずだけれど、わかったようなわからないような状態だった。わかりたくなかったのかもしれない。

今、「他者」を失ってみて、このことばが痛いほどに沁みている。
他者によって自分は苦しめられるのだと思っていた。人間関係に悩む人は多いだろう。しかし、その悩んでいる人間関係でさえも、自分を映し出しているとも言えるのだろう。その人をとおして自己を知る。自分ひとりで生きていくことなどできるはずがない。それでも、ひとりでいる時間は必要。そのひとりでいる時間はしかしあまり長過ぎない方が良い。ひとりでいる時間が長いと、自分自身をも失いそうになる。何と逆説的なのだろう。ことばではまったく逆のことを言っているように見える。

今、ひとりで過ごす時間が長い。そうしていると、自分というものが分からなくなってくる。人間関係の中で苦しんでいる自分は、その中で確かに生きていた。今はその手ごたえのようなものがない。苦しみの隣に喜びも楽しみもあると言えるだろうか。苦しみから逃れるために、その隣にある喜びも失ってしまったように感じる。あの渦中にいた自分には想像できなかったことだ。

あのときに留まるべきだったとは、しかし言わない。今の自分の気づきをいかに生かすことができるのかは今の自分にゆだねられている。この経験が教えているものに真摯に向き合いたい。

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