自分の深いところから出たことばでないと人には届かない。
いくら叫んだところで、人は遠ざかっていく。
どうして叫ぶのか。何のために叫んでいるのか。
独り言ならオブラートに包まずに日記にいくらでも書けるだろうに。私はなぜここに書いているのか。誰に向かって書いているのか。誰に向かって叫んでいるのか。
ここはどこか?
今の自分に向けて、これからの自分に向けて書いているのかもしれない。なのであればなおさら、叫ぶ必要はないのだろう。
読むと書くの学びの中で、自分で書いたものは決して捨てるな、と教えていただいた。それがどんなに滑稽に思えようとも、その中にさえ何か自分にとってかけがえのないものがあるはずだと。昨日でも、明日でもなく、今でないと書けないことがあるはずだから。
時代はますます大変なことになっているような気がする。もちろん他人事ではない。皆、知らず知らずのうちに色々なものを共有している。意識も共有している。
自分の一挙手一投足が社会にそのまま波紋を広げないまでも、自分という存在がかならずや社会において一定の役割を担っていると思う。存在にとっては絶対的だ。
自分が絶対的に存在しているのだから、存在にとって関係ないはずがない。存在していないほうがいい人などいない。そんな大切なことに気づくことが難しくなっている。大変なことだ。
先日、「人間」とはとふと考えていて、人間の「間」って何だろうと疑問に思った。久々に広辞苑を開いてみた。人間の意味を引くと、一番最初の意味として、「人の住むところ」、「世の中」、「世間」とある。人間とは人(個人)のこと、人類のことを指しているのかと思っていたが、もともとの意味は社会を指している。この言葉の中に社会と個人の両方が含まれている。つまり人は人と人の間に存在する、人との関係の上に成り立っているということになる。自分の無知で知らなかっただけかもしれないが、しばし絶句した。人はひとりでは生きていけないことをこうした言葉が既に教えているではないか。
こんなに遅くなって気づいたこと。でも気づかないままでいるよりずっと良いと思う。
今しか書けないことがある
Uncategorized
コメント