神様が今ここで私をしている。存在、宇宙と置き換えても良い。この宇宙に唯一無二。今も昔もこの私だけが私をしている。さらに考えてみるとこの世のいのちは何ひとつとしてかつて存在したものはない。この夏に鳴いていたあの蝉は去年の蝉とも違う。当たり前のことかもしれないけど、これは実はすごいことなんだな。同じ人生を生きている人は誰ひとりとしていない。よし分かった、それは本当にすごいことだ。電車で隣に座っているこの若者はあの若者ともその若者とも年恰好は似ていても全く違う別人で唯一無二である。その事実を知って、さて何かが変わるのか。こんなにすごいことを知ってもやっぱり同じように日々は過ぎていくのか。労働市場に目を向ければ、私たちは置き換え可能な労働力。気づかれなければ、気づかれないまま、「あ、あれ人が違っていたんだ。」
繰り返されていく暮らしの中でたくさんの唯一無二と関わっているけれど、いちいち気にしていられるわけもなく。皆、社会の一員だけど。自分が唯一無二だと知ったところで大したことのなさには変わりがないし、一体どうしろというのだろう?ただ、ひとつだけ。何千何万の唯一無二がわすれられていることはかなしい。これがかなしいことだということは何となくわかる。考えたって仕方ないだろうと思いながら、それじゃあいけない気もしている。さあ、どうしたらいいのだろうか。
唯一無二
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