今時間がある。
これは図らずしも与えられた時間。
何にもすることがない暇な時間としてしまえば、そのまま虚無な時間になるが、自分がその時間をどう捉えるかで計り知れないものにもなり得る。
何かをすることで埋め尽くされていた時間、お金に換算されていた時間、それがそのまま生の時間になった。
垂直の時間の流れ。
この機会が再びあると思わずに過ごしたい。なぜなら二度とない機会なのだから。二度とない。同じ日は二度と来ない。
時間は地続きのもののように感じられるけれど、同じ年齢を生きる自分はいない。この瞬間瞬間が唯一無二。この意識が今わたしが持ちうるその意識。
数年前に夢中になっていたことはわたしの内にはない。なぜ、あんなに夢中になっていたのか、それはそれでそのときの自分の意識が探求したかったことなのかもしれない。一瞬たりとも同じではありえないこのもの(自分)。変化している。垂直の時間の中で垂直の意識の中で、わたしは今しか感じられないことを感じて書いているのだと思う。
明日はまた違うことを感じているかもしれない。
読書の経験。
本に呼ばれるというが、その道程はとても興味深い。かつてはまったく異なる類の書物を読んでいた。そこから影響を受けて多くの学びがあった。そして考え続ける先に今の読書の営みに通じる学びを得た。本棚の本ががらっと変わった。自分の意識もかわった。ずいぶん時間がかかったと思うが、ここに辿り着いた。ここが終着でもなく、この営みは続いていく、自己を発見し続けている。
自己を発掘し続ける
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